mastemのブログ

本好きの備忘録( *´艸`)ゆるゆる感想と日常について書いてます

雑記 推しメンが死んだときのオタクのマインドについて

こんばんは、totocco(トトッコ)です!

今回はオタクマインドについて語ります笑

かなり唐突ですが、ゆるゆると書いていきます( ..)φメモメモ

 

昨日、NHK進撃の巨人をリアタイしました。

何といっても、わたしの推しメンのエルヴィン団長の最期の回でした。

 

ギリギリの状況。

かなり追い詰められる調査兵団たち。

そんな中、新兵たちに突撃を命じ、自ら先頭に立って駆ける団長。

ひん死の重傷を負ったエルヴィンとアルミン。

どちらを助けるのかを選ばないといけない。

とても残酷で息が詰まるシーンでした。

 

この展開なんてもちろん知ってましたが、テレビの前で泣いてました。

演出、作画、声優さんとも素敵でした。

 

わたしが好きになったキャラ達はいつも死んでしまうという状況をなんとかしたいと思うこの頃です。

過去を振り返ると、NARUTOうちはイタチ鋼の錬金術師のマース・ヒューズもそう。

すごく推していたキャラが亡くなってしまうと、いつももぬけの殻となってしまう現象って何か名前がついているんだろうか?

 

キャラが亡くなった時の最初のリアクションは主に2つ。

死ぬかもしれないという伏線があった場合は、死なないでほしいと祈りながら画面を見てその最期を看取ります。

しかし伏線が何もない時は、かなりのショックを受けます。

まずキャラが死んだことが受け入れられずに、もう一回録画したものを見る。

そしてゆっくりと状況を理解していく感じ。

 

しばらくの間、ショックを受けてますが次第に次のようなことを考えます。

それは、推しメンの死は、ドラマと一緒だと思い込もうとします。

つまり、画面の中では見れなくなったけれど、ドラマの撮影現場のようにカメラワークから外れたところでエルヴィンが舞台を眺めながら休んでいるのだと。

 

もはや自己暗示ですね。

こういう思い込みの中を漂いながら、Twitterを開くと同じ思いの同士に遭遇することができました。

同じようにドラマの撮影現場のような場所でエルヴィンがカメラから離れたところにいるイラストを描かれていました。

 

つまりこれは、人に共通の喪失の過程なんじゃないのかな。

だとしたら、この気持ちに誰か名前を付けてほしいな。

名前があったら言葉でこの喪失感を説明できるのに。

社会学の先生方、どうかお願いします笑

 

 

そして推しメンは死んでないけど、アニメの放送が終わった時も強い喪失感が出ます。

強い喪失感→自分の心の中にキャラを住まわせることで心を安定させてました。

 

リアルの人間関係も虚構の人間たちも内面を知ると、それを失う喪失感がとても大きいなと思うこの頃です。

今日もわたしは強い喪失感を抱えながら生きていきます。

おわり。