mastemのブログ

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【途中読書感想文】画家だけじゃない!なんと外交官だったルーベンスの生涯について歴女が紹介!

こんばんは、totocco(トトッコ)です(*^-^*)

今回は、17世紀の画家として有名なルーベンスについて。

 

ルーベンスと言えば、「マリー・ド・メディシスの生涯」など数多くの傑作を残した一流の画家として有名ですよね。

しかし彼には他の顔もありました!

そこで今回は知られざるルーベンスの生涯を簡単に説明したいと思います!

 

◆多くの言語をマスターしていた!

まずルーベンスは7か国語もマスターしていました。

そしてアントワープで画家として活動。その後、ローマやフィレンツェなど各地を周って絵画の勉強に努めることに。

特に彼が生まれる前年に亡くなった巨匠、ティツィアーノの絵画を模写してその技術を高めようとしていたそう。

ティツィアーノを尊敬していたようですね。

勉強熱心なエピソードから、かなりの努力家だったことが伺えますね!

ちなみに彼はマントヴァ公ゴンガーザの宮廷画家となり、後年スペイン領ネーデルラントの宮廷画家も務めることに。

絵画の買い付け仕事も行っていましたが、自身も絵画のコレクターに。

 

ルーベンスは肉屋?彼の絵画の作風について

ルーベンスの強みは、なんといってもロマンティックな作風^^

題材も宗教や王侯らの肖像画などを手掛けています。

彼が描く画面の中の人物はみな体の筋肉が生き生きと描かれ、登場人物たちの光の陰影が美しく描き分けられ、さらに1人1人の表情もとても豊か。

ちなみに画家として浪費もせず、多くの富を手にしたルーベンス。そのためか、陰口を言われることも…。

やはりいつの時代もねたむ人はいるんですね…。

ルーベンスの作品では、美女はかなりふくよかに描かれていたため、「肉屋のルーベンス」と皮肉られていたとか…。

確かに彼の描いた作品に登場する美女たちは、とても豊満なボディですよね。

 

◆外交官としても活躍した画家

ルーベンスは、ルイ13世の母、マリー・ド・メディシスから絵画の制作依頼を受けている間に、外交官としても働くようになりました。

また画家でもあったため、敵対していた国からも絵を描いてほしいと頼まれるほど。

ちなみにスペインのフェリペ4世には「我が子を喰らうサトゥルヌス」を、イギリス国王チャールズ1世へは「戦争と平和」を描いたのでした。

そして彼らから爵位を与えられることに。

普通の画家を遥かに超えた扱いですよね^^

 

◆再婚相手は16歳の美女!

またプライベートでは、仲睦まじい夫婦として知られ、子どもにも恵まれたルーベンス。しかし妻が病気で亡くなった後は、なんと16歳の中流階級の美女と再婚を果たすことに。(ちなみに彼女との末子はルーベンスの死後に生まれることに。何しろ53歳での再婚)

この結婚にはルーベンスの葛藤があったよう。

周囲からは貴婦人を再婚相手にと勧められていたようですが、当時は階級社会。

当然画家や外交官として大成功を収めていたルーベンスですが、当時の画家は職人であり身分が高いとはいえませんでした。そして貴婦人は、貴族出身の女性。身分の差があったんですね。

人生において不平不満をほとんど口にしなかったそうですが、そんな彼にも階級社会でかなり苦しい思いをしたのではないでしょうか。

 

◆63歳で生涯を閉じることに

そんな彼の最晩年の作品は、意外なことに風景画でした。

晩年になると、ルーベンスは持病の痛風が悪化し、両手が麻痺することに。

しかし麻痺していても流石は巨匠ルーベンス

彼は木々の1本1本の変化や自然の姿を正確に描いたのでした。

 

ルーベンスの話はとても興味深いものでした。

詳しくは、中野京子さんの「絶筆で人間を読む」をご覧あれ^^

 

ここまで読んでくれてありがとうございました!